関西カーポートデッキの施工の当社の歴史

 

私たちの会社は2011年で創業100周年となりました。当社の主要な行事、内容などを記載しました。本社の何度かの移転のため、

資料が見当たらないものもあり、古いものについては十分ではありません。下線のあるものはクリックすれば写真がご覧になれます。

内 容 
明治44年 和歌山県御坊市において、徳川寛文年間(1661)より代々の中川藤吉が継承経営してきた山
林業より独立。中川計三郎商店として、伊勢大杉谷御料林、奈良高見山、紀州栃谷山等、
近畿、中国、四国地区に於て素材の生産業を営む。
昭和22年 木材統制令廃止と共に中川木材店大阪店を開設。中川藤一の学友、鉄商吉村商店吉村謙え
助店主の好意により、大阪市西道頓堀2丁目吉村商店の倉庫を借用する。住宅は同学友
(馬術部先輩)の斉藤機械工場寄宿舎を借り、都島より自転車通勤する。初荷
昭和24年 大阪市西区西長堀南通り2丁目24番地に620坪の土地を購入(土地代金坪1200円)大阪店
事務所、宿舎及び貯木場を開設する。
昭和24年 納税額、23年度約250万円、利益の大半を税金に吸い上げられる。
昭和25年 24年度納税額450万円、税金攻勢対策の一環として、中川木材店紀州の本店をそのままとし、
大阪店を和洋林産株式会社(竃谷 健社長)に合併し、中川藤一専務となる。
昭和27年 中川藤一所有の馬「初菊」を美空ひばり主演の「あの丘越えて」に提供
昭和27年 和洋林産株式会社 解散。
昭和28年 大阪店を独立、株式会社に組織を変更し、中川計三郎を代表取締役社長に、中川藤一を
代表取締役専務とし、社員と廣瀬辰造以下8名、資本金200万円を以て設立する。
昭和28年 大阪市大正区難波島にて、村上竜平氏の土地1000坪を借用して貯木場を開設する。
昭和28年 池田銀行を通じて、岡崎工業㈱より、大正区今木町1丁目27に約1000坪の土地を購入し貯木
場に改造する。
昭和28年 アメリカシァトル本社、バークレ商会(林出張所長)に事務所の一部を貸与。日綿実業㈱木材部及
び安宅産業㈱木材部と取引を開始する。
昭和29年 社員旅行 琵琶湖 石山寺
昭和29年 バークレ商会の招聘により、中川藤一専務渡米(5/19~6/9)アメリカ、シアトル、ポートランド、
カナダ、バンクーバー、ビクトリア等の木材視察をし、バークレ商会より、米松、パイリング
50尺×6寸500本ほかを買付ける。L.Cは三井銀行船場支店にて開設。
昭和29年 大阪市港湾局に松杭40尺8寸500本納材し、業界を驚かせる。当時の大阪、最大手の丸五木材さんからは、
「中川が納材できたら、心斎橋を逆立ちして歩いてやる」と役所関係者に振れまわられた。最初の大口受注
昭和29年 社員旅行 高野山
昭和30年 中川藤一専務、三重大学農学部に於て、木材商業論及び木材流通論の講義を担当する。
以後21年間講義することになる。
昭和30年 社員旅行 奈良
昭和31年 日綿実業㈱取締役社長岡島美幸と、㈱中川木材店取締役社長中川計三との間に於て、
杭丸太の輸入及販売に関する業務協定を締結する。
昭和31年 ソ連材海洋筏、初めて富山港に入港、60尺の落葉松丸太全量を買付ける。
組み立て式床の間セットを開発、米国へ輸出する
昭和31年 神戸淡路フェリー開通により、愛媛の住友化学新居浜工場増設工事にて、西松建設㈱に杭丸太を納材する。
昭和33年 長野県小諸に出張所を開設する。当時の社長室
昭和34年 中川藤一専務、香港、フィリッピン、オーストラリア、ニュージランド、フィジイー島、木材視察する。
ニュージランド材の日本発入荷、全量買い付けする。   現地でのニュージランド首相
昭和35年 社員旅行 友ケ島
昭和35年 日綿実業㈱名古屋支店内に、名古屋出張所を開設。伴野通商よりニュージランド杭丸太輸入。
中川藤一専務、大阪木材青年経営者協議会会長に就任(35年4月1日~37年3月31日)。
昭和35年 中川木材店難波島にて、大青協(大阪木材青年経営者協議会)会員による木材材積測定に
関する新農林規格改正資料を作成する。
昭和35年 日綿実業㈱木材部の別会社、日本ドラムカン工業㈱発足に伴い、中川木材運輸㈱を設立。
昭和35年 大阪府 第一回木材祭パレードに参加 2等賞を獲得
昭和35年 社員旅行 三田松茸山
昭和35年 朝日放送テレビ 子供の科学に 中川藤一専務が出演
昭和36年 最古参社員 中川鶴蔵氏逝去、社葬を行なう。
昭和36年 社員旅行 金波楼  御坊の社長自宅訪問
昭和37年 中川木材店創業50年、創立10周年を迎え、大正区、貯木場に於て、感謝会を行なう。
昭和37年 大阪府南河内郡美原町、大阪木材工場団地協同組合に加入、10,000㎡の土地を購入する。
昭和37年 社員旅行 白浜
昭和37年 11日、大正区貯木場にて、湯川、西尾、丸山各新夫婦の歓迎会を行なう。
昭和38年 日綿実業㈱木材部の代行店としての日綿建友会が発足し、卸売業務を併設する。
中川藤一専務が副会長となる。日綿実業㈱は木材小売業者に直接販売する目的で日本ドラムカン
工業㈱木材部を設立。弊社より社員奥田義一が出向する。大和ハウス工業㈱の仮設ハウス販売代理店となる。
昭和39年 岸和田、木材コンビナート内に、4,500㎡の土地を購入。将来の木材大型流通化に備える。
昭和40年 日綿実業㈱木材部が、日本ドラムカン工業㈱木材部を閉鎖した為、中川木材運輸㈱を
中川木材店に吸収。又、日綿建友会代行店として、53年7月まで卸売業務を行なう。
昭和40年 社員旅行 鳥取砂丘
昭和42年 資本金を300万円に増資
昭和43年 写真旅行、仮装大会
昭和44年 内装プレカット加工部門強化のため㈱葵建装を美原に設立
昭和44年 大阪木材工場団地内に第一期工場の建設を始め、同年7月美原営業所を開設
昭和45年 中川木友会(中川木材店の仕入業者主体)発会。第1回の総会を羽衣荘において開催
(水谷建築設計の水谷頴介先生が「明日の都市建築」と題して講演をする)
昭和45年 松杭丸太 21メートル 末口20センチ 450本を大阪市港湾局に納入する
昭和45年 社員旅行 中川木材店と葵建装合同(日光東照宮方面)
昭和45年 資本金を800万円に増資
昭和45年 第1回家族会 美原営業所にて
昭和45年 中川勝弘現社長、日本万国博覧会協会職員として会期前と後を含め1年間勤務する。
会期中にインドネシア館の人たちからインドネシア語を学び、のちにインドネシア館から表彰される
昭和45年 中川藤一社長、2週間のフイリッピン、インドネシア、シンガポール、マレーシア、タイ木材視察。
中川勝弘(大学4回生)通訳として同行。
昭和46年 米国シンプソン社、ニチメン共同での年輪盤3丁の寄贈を受ける。
昭和46年 社員旅行 葵建装と合同 三方五湖
昭和46年 第2回 家族会 美原にて
昭和46年 美原工場竣工披露。
昭和46年 岸和田木材コンビナートに於て、社屋新築工事始まる。鉄筋コンクリート陸屋根5階建
昭和47年 社員旅行 葵建装と合同 金毘羅 小豆島
昭和47年 岸和田木材コンビナート内に社屋を建設し本社移転、岸和田支店を開設。納材部門は
岸和田へ。10月6日社屋竣工披露 第3回 家族会 岸和田にて 葵と合同
昭和47年 大阪木材会館が大阪市西区西長堀北通りに新築、中川木材店大阪事務所を大正区今木町
より、大阪木材会館に移転開設する
昭和48年 大阪府木連主催、大阪府暮しと木材展に出展 朝日会館朝日ホール(3月15日~3月18日)
昭和48年 社員旅行 葵建装と合同 瀞峡勝浦へ  資本金を880万円に増資。
昭和48年 第4回家族会 岸和田にて
昭和48年 御坊市役所庁舎竣工に際し、中川計三郎の遺志を継ぎ、道祖神の石彫を寄贈する。
第1回百和会を開催 11.18 豊中アイボリホテル
昭和48年 中川藤一社長、日生ニュータウン造成中の現地へ彫刻家の鈴木政夫氏を同道、結果同氏の
彫刻が多数設置されることとなった。
昭和48年 美原営業所内に流通センターを開設、住宅用木材に進出。(現住宅事業部)
昭和49年 カナダ米材状況視察、中川藤一社長(丸山龍男、高尾裕 同行)。
昭和49年 社員旅行 葵建装と合同 高知県(高知城、桂浜)
昭和49年 小堀住研㈱(現在のエスバイエル㈱)と取引を開始、建築用材の直需に力を入れる。
昭和49年 第5回家族会 美原にて 
昭和50年 兵庫県川辺郡猪名川町阪急日生ニュータウン内に日生川西営業所を開設。ディベロッパー指定の
大量納材に進出する。業界ではじめての試みであった。ツーバィフォー材、本国挽 第一回入港
昭和50年 美原営業所に建材部およびツーバイフォー部新設。 
昭和50年 アメリカ、カナダ視察。(日綿建友会同行2x4勉強会)。4月29日~5月7日。美原営業所2階に展示場を設置
昭和50年 社員旅行 日本ライン
昭和50年 第5回家族会 美原営業者にて 
昭和50年 資本金を2,640万円に増資。
昭和50年 大阪市港湾局から24メーター杭丸太を受注、米国から愛知県衣浦で陸揚げ機帆船で岸和田支店へ
昭和51年 美原営業所を支店に昇格改称。造作プレカット部門を開設(現住宅事業部)
昭和51年 小怪木のインテリア、エクステリアの利用に踏出す。
昭和51年 美原営業所を美原支店に昇格、改称する。
本店所在地(登記上)を大正今木町7番地より、西区西長堀北通り4丁目22に移す。
昭和51年 中川博司 カナダ バンクーバー市ブリテッシュ州立職業訓練学校(現工科大学校)において
2x4工法研修。昭和51年7月~昭和51年8月
昭和51年 第7回家族会 バスで生駒赤膚焼き
昭和51年 社員旅行 播州赤穂-後楽園-岡山城
昭和52年 岸和田支店にアウトドア部門を開設。(現 屋外施設事業部)
昭和52年 日本フィールドアスレチック協会、マーケティング企画㈱の支援を受け、京都嵐山の清滝において、
直接の仕事として最初のFA工事を請負う。尓後、昭和56年7月末まで関西以西の地に於て47件、
733ポイントを消化する。
昭和52年 社員旅行は弊社が施工したアスレチックコースの路島スポーツランド洲本
昭和52年 美原支店営業部の建材部、ツーバイフォー部および流通センターを統合し、営業第1部、第2部を設置する。
昭和52年 第8回 家族会 岸和田にて
昭和53年 社内プロジェクト 中川勝弘を委員長にコンピューター委員会を1年間開催
昭和53年 社員旅行 鳥羽 伊勢志摩
昭和54年 間伐材を利用してエクステリア、インテリアの開発を岸和田支店が中心となり始める。
昭和54年 54年度くらしと木材展 和歌山商工会議所 に出展。
昭和54年 各店間に電電公社DRESSシステムによるオンラインリアルバッチ電算処理各店間にFAX処理を開始
昭和54年 社員旅行 山陰 香住、出石
昭和54年 '79ショップ&ディスプレーショウ(OMMビル)に出展。
昭和54年 和歌山 木と暮らしの展示会に出展
昭和55年 大阪国際見本市に出展する。木材業者は当社のみであった。
昭和55年 社員旅行 有馬、宝塚 有馬グランドホテル 歌劇
昭和55年 美原支店にて第1回目の木材展示即売会を木材業者対象に行う。協賛9社
昭和55年 神戸ポート博覧会 ジャイアントメタセコイアの加工施工をする
昭和56年 財団法人大阪住宅センター主催の「すまいと木材知識展」に中川藤一前社長が委員長で参加、間伐材製品を出展
昭和56年 阪神園芸さまイベント 甲子園会場 協賛展示
昭和56年 大阪市中小企業指導センター主催のシンクルームにてオリジナル製品展(5/25-7/31)に出展。
昭和56年 中川藤一前社長 関西TV「3時のあなた」から取材
昭和56年 社員旅行 越前海岸。中川藤一前社長 TV出演
昭和57年 小売のノウハウを得るため、川西営業所(兵庫県川辺郡猪名川町 阪急日生ニュータウン内)に
アンテナSHOPを開設。費用の問題や専門的なディスプレーが出来ないことから木造倉庫を
自分たちの手で改造して20坪の店とする。オープンの日は400人のお客様があった。
昭和57年 社員の高齢化時代への産業対策として大阪シルバーサービス㈱を設立。
昭和57年 大阪国際見本市に、2回目の出展をする。この時点よりインテリア小物を販売開始。木のイメージについて
のアンケート調査をする。4月22日から5月3日の国際見本市の会期中に1100人からアンケートをとり分析、
パソコンによる集計分析を初めて行った。この分析結果は業界を始めとして各界から注目された。木材再発見、
再プームのきっかけとなったかも知れない。
昭和57年 NHKにて間伐材の内容で取材され、放映される
昭和58年 クラフト事業部 卸 業務を実験的に開始。
昭和58年 社員旅行 飛騨高山 明治村 
昭和58年 第9 回家族会  川西営業所 9.18
昭和58年 OMMフェアに出展。 卸 業務が本格化稼働。
昭和58年 ウッドクラフトショップを豊中 服部緑地での第1回全国緑化フェア(グリーングロー大阪)に大阪府の要請で
出展好評であり、大阪府にクラフトの存在を知らしめ、また木製品の温かさを来場者に知らしめた。
昭和59年 日生ニュータウンの事情により急拠ショップを閉鎖。
昭和59年 大阪ギフトショーに出展。
昭和59年 日生ニュータウンの事情により川西営業所、クラフト事業部の引越しを行う。事務所、倉庫、
木場等2000坪、全体が引越しするため4ヶ月かかり大変な大移動であった。
昭和59年 兵庫県緑化大会に出展。
昭和59年 バーズアイに通販広告をだす。通販業務の初めであった。
昭和59年 『40名の作家ウッドクラフト展』を名古屋ポートビルにて行う。全国の作家商品を収集するのは大変な作業であった
昭和59年 『40名の作家ウッドクラフト展』を広島 にて行う。
昭和59年 本格的な通信販売を開始。朝日新聞社 保存版雑誌 木の文化シリーズに カラー1頁掲載する。
3回掲載。広告費用も出ずに、大失敗かとおもわれたが、この通販広告のおかげて全国のクラフト作家
に当社のことが知れ渡り、その後の商品開拓に大いに寄与した。
昭和59年 第10 回家族会  金剛山 9月.2日
昭和59年 大阪ニューライフグッズショーに出展。
昭和59年 『ウッドクラフト展』を 松山三越 にて行う。引き続き常設コーナーを設けてもらう。
昭和59年 大阪コロナホテルで行われた、国民の森林を考える関西シンポジウムに協賛出展。 
『ウッドクラフト展』を 神戸そごう 美術工芸部門で催事を行う。
『北海道ウッドクラフト展』を 大阪 高島屋にて行う。山口保氏の実演含む。
昭和59年 ブックローンに商品供給する。従来の地球儀の台以外にクラフト商品を供給。
昭和60年 国際森林年事業推進協会より、内閣総理大臣賞、農林大臣賞、林野長官賞等のため記念品をご購入頂く。
昭和60年 翌年1月末まで 枚方三越に委託販売。
10月末まで 大阪三越などに委託販売開始。
昭和60年 『ウッドクラフト展』 神戸そごう 11月好評のため再度の要請あり。
『木のぬくもり展』 奈良近鉄 。(あるぼーる様へ商品供給)
昭和60年 東京ギフトショー 出展。
昭和60年 クラフト事業部 念願の初めての印刷カタログを制作。
昭和60年 大阪府民会議 『ヒト.ソフトピア』 ウッドクラフトコーナー担当 クラフト展示実演
千里 阪急百貨店 『北摂のステキなお店』の催事を行う。
『ウッドフェアー』を名古屋ポートビル にて行う。
大阪 三越 ちょっと気になる木の小物たち
昭和60年 間伐材利用のオフィス家具を製作
昭和60年 淡路島 愛ランド博 『くにうみの祭典』にウッドクラフトショップを出展。
千葉そごうにて『ウッドアンドライフ』コーナー設置。
昭和60年 東京 京王プラザホテルにて開催されたシンポジウム 『<木>と人間のかかわり』に参加 。
ウッドクラフト展 東京 三越本店。
ウッドクラフト展 大阪高島屋 蕨迫隆史氏の実演含む。
昭和60年 社員旅行 沖縄 那覇、嘉手納、植物園、ひめゆりの塔
昭和60年 美原支店を本店に昇格、本社を同敷地内に移転し、本店内にアウトドア事業部、
阪急日生二ュータウンにクラフト事業部を開設。
昭和60年 後援 日本アジア航空 大阪 JAAプラザにて、『ちょっと気になる木のモノ展』 主催する。
昭和60年 日生中央駅前に自社アンテナショップを開店(ログハウス風)
昭和60年 広島にて 『ウッドクラフト展』。
神戸グリーンエキスポ85 そごう館に出展。 3カ月間
『食物フェスティバル』 大阪城公園に出展。
昭和60年 東京ギフトショー出展に出展。
昭和60年 大阪 松阪屋にて 『ウッドクラフト展』を行う。
大阪 三越 展示販売会 『木・やすらぎの小品展』
昭和60年 大阪そごう 『北海道展』 出展 。
『食べ物フェスティバル』 大阪城公園に出店。
『国際森林年フォレスポ85』 代々木公園に出店。 
昭和60年 『ウッドフェア大阪』 大阪国際見本市に出展。
東京 林野庁主催 『森の市』に出展。 羽田農林大臣、林野庁長官なども立ち寄りお買上げ頂く。
昭和61年 神戸そごうにて 『ウッドクラフト展』
昭和61年 愛知県 トヨタ生協 にて 『煙山泰子の展示会』を行う。
大阪 阪神百貨店にて展示会。
昭和61年 『花と緑のミニイベント』 大阪鶴見緑地。
阪急電車池田駅改築記念 『ウッドクラフト展』大阪府民センター通信販売による販売方式をとる。
昭和61年 近鉄百貨店 にて『ウッドクラフト展』 河合正雄氏に実演協力をお願いする。
『ウッドフェア』 大阪府主催(心斎橋そごう)に出店。 参加企業のなかで一番の評判となる。
万博会場 大阪府主催 『ウッドフェスティバルinEXPO』に出展。
昭和61年 大阪摂津にウッドアンドライフ摂津 オープン  丸岡銘木さまにクラフト商品を全面供給する。
昭和61年 全国植樹祭に印鑑ケースを記念品として買上げられる。全国林業後継者大会、植樹祭会場などにも出展。
昭和61年 『ウッドクラフト新作展』 大阪三越。
昭和61年 能勢電鉄 『日生中央駅前ビルオープンイベント』
昭和61年 大阪ギフトショー 出展 国際ホテル。
『玉手山おもちゃまつり』に出店。
昭和61年 『北海道クラフト展』 大阪そごう。
昭和61年 『北海道クラフト展』 大阪高島屋。
『食べ物フェスティバル』 大阪城公園に出店。
堺 『農林フェスティバル』に出店。
昭和62年 美原本店敷地内にクラフト事業部の移転
昭和62年 東京ギフトショー 出展。
昭和62年 全国木材青年経営者連合全国大会 出展。(福井市)
近鉄外商イベント 八尾。
昭和62年 近鉄外商イベント 大阪城ホール。
昭和62年 第二次電算システムをNECオフィスプロセッサーのオンラインバッチ処理に変更。
昭和62年 能勢電鉄 『日生中央駅前ビル1周年記念イベント』 木製迷路を出展。
昭和62年 『天王寺博覧会』に出店。
昭和62年 社員旅行 韓国 釜山 慶州
昭和62年 大阪ギフトショー出展 マイドーム大阪。
昭和62年 大阪営林局 『法円坂イベント』
『食べ物フェスティバル』 大阪城公園。
昭和62年 岸和田臨海会館 イベント出展。
『大阪府農林水産フェスティバル』 大阪 長居公園。
『暮らしの中の木工品展』 岐阜 高岡。
昭和63年 クラフトSHOPの苦しい時代、経費だけでもカバーできるようにと、レンタルビデオを開始する、
パソコンなどの代行入力、木に関する書籍のレンタル、アートレンタル、写真現像取次ぎ、
人形、ソックスの販売、自動販売機の設置なども行う。
昭和63年 大建工業 『洋上展示会』に出展。
昭和63年 セキスイハウス 三宮にて『ウッドフェア』 。この時、ちびっこ木工作展を行い好評であった。。
昭和63年 中川藤一社長、死去により 中川勝弘 社長に就任。
昭和63年 クラフト事業部の組織変更。
昭和63年 合同葬儀 中川木材産業、葵建装、大阪木材工場団地の3者による合同葬儀、大阪西教会
50日祭りキリスト教式
昭和63年 セキスイハウス 姫路 『ウッドフェア』に出展。
昭和63年 レンタル迷路を考え、イベント会社にDMを発送し、営業開始する
平成元年 高度情報化にそなえウッド&ライフ事業部にシステム課を設置。
平成元年 大阪木材工場団地協同組合主催 追悼会 リメンバーパーティ
平成元年 追悼集作成 業界から委員を選出してくださり、委員会が出来る。1年間で5回の委員会を開いた。
追悼集の題名は聖書の中からの言葉「樹には望みあり」とする。委員長浅野寛氏。中川勝弘社長が編集する。
平成元年 神戸ギフトショー 出展。
平成元年 中川藤一一周忌 会社行事で行う。
平成元年 社員旅行 北海道 札幌、苫小牧 登別
平成元年 日本航空機内通信販売用クリスマスツリーの別注製作。
平成元年 田辺経営 京都国際大会 異業種大会 出展。
平成2年 川西営業所の閉鎖撤退。
平成2年 国際花と緑の博覧会(90・4/1-9/30)休憩施設を施設提供。 政府苑産業技術館のトラス材の納入等
多くの工事、納材をする。フジサンケイグループ主催のグリーンミュージアムに企画出店。
グリーンミュージアムでは1室のイベント企画とウッドクラフト販売などを行う。、
平成2年 まいどおおきに博覧会 出展。
平成2年 能勢の里 府民ロビー に昆虫クラフト納品。
平成2年 近鉄百貨店阿倍野本店にて大北海道展に出店。
平成3年 社内CIを行う。社名はそのまま。統一コンセプトをWOOD&LIFEに6部門の新名称を使う
平成3年 社員旅行 台湾 台北、社長のみ米国のオーランドにリゾート関係の研修視察旅行に参加
平成4年 住宅用デッキの組立等で特許申請。同商品を松下電工様へOEM供給する。
平成4年 24日から29日 第20回 大阪国際見本市にプランジュ事業部(現 屋外施設事業部) 4コマ出展。 
平成4年 関西ニュービジネス協議会 国際大会に出展。
平成5年 美原町立大地幼稚園に木壁画企画施工。
平成5年 伊丹美術館 企画出店。
平成5年 神戸 住宅建材展  出展。
平成5年 盛和塾 第2回全国大会 京都 カタログ出展
平成5年 社員旅行 韓国 ソウルへ
平成5年 企画開発、提案営業の拠点とするため大阪西区の木材会館に大阪企画室を設置する。
平成5年 NTT DOCOMO 携帯電話ディスプレー台
平成6年 企画開発の第一弾であるマンションデッキを開発する。特許申請する。
平成6年 5万円で会社案内100部制作という、カラープリントシステムによる印刷業に進出。
平成6年 兵庫県三木山にて大型クラフト昆虫、ベンチ、テーブルなど企画設計施工。
平成6年 和歌山リゾート博に新商品アメリカンデッキ6000㎡納入。施設提供する。
平成6年 盛和塾 第3回全国大会 大津 カタログ出展。
平成6年 社名を中川木材産業株式会社に変更する。
平成6年 NTT DOCOMO 販促記念品
平成6年 東京DIYショー出展、キットデッキは引き合い多く全国に販売ルートが出来る。
平成7年 関西ニュービジネス協議会展示会にカラープリントシステムを展示。新規顧客を開拓する。
平成7年 クラフト川西事業所を美原クラフトに移転のため閉鎖。中川木材産業㈱の兵庫県の拠点はなくなる。
平成7年 大阪企画室を廃止、美原本社内に企画開発室を設置。木材会館事務所は8月をもって撤収。
平成7年 盛和塾 第4全国大会 大津 カタログ出展。
平成7年 ソーケンマネジメントにDIYでのウッドデッキの市場を調査依頼する。
平成7年 キットデッキ新タイプ完成。特許申請する。
平成7年 平成8年度採用新卒募集を大商工会議所にて行う。また入社試験も自社で作成、実施する。
平成7年 社員旅行 シンガポール
平成8年 インターネットホームページ開設 ドメインはsun-inet.or.jp~woodだった。最初のホームページ
平成8年 独自ドメインを取得wood.co.jp.、また自社サーバーにてホームページを運用開始。
平成8年 東京グッドリビングショー出展。
平成8年 大阪府企業体験教員研修 3日間 3名参加
平成8年 本店内 LAN設置、パソコンひとり一台体制に
平成8年 盛和塾 第5全国大会 大津 カタログ出展 /中川勝弘社長経営体験発表する。
平成9年 教員研修 3日間  富田林市立第一中学校、 大阪府立金剛高等学校 の先生方 2名
平成9年 本社倉庫再構築、2階建てとし、2階を本社事務所とする。ショウルームも順次拡大。
平成9年 社員旅行 長野、黒部へ アルペンルート  立山
平成10年 大阪DIYショー出展。
平成10年 大阪府企業体験教員研修 3日間 森田先生 山下  里中の先生 3名
平成10年 東京DIYショー出展。
平成10年 岐阜県上之保村小学校 木壁画企画設計施工。
平成11年
1999
中川博司常務 USJ工事のため第1回目の米国ユニバーサルスタジオ視察。
平成11年 岸和田支店内 LAN設置 自社構築
平成11年 大阪 DIYショー出展。
平成11年 大阪府企業体験教員研修 3日間 長野北高等学校、 八尾北高等学校の先生方 2名
平成11年 全国育樹祭に記念品として指定される。オリジナルメモ台など全記念品の9割以上を納品する。
また、万国博覧会会場にてのイベントに参加、ガーデニングブームもあり好評であった。
平成11年 東京ガーデニングフェア出展。
平成12年
2000
中川博司常務、 草尾同行USJ工事のため2回目、米国ユニバーサルスタジオ視察。
平成12年 キットフェンスプロ 完成。特許申請する。
平成12年 大阪府教員研修3日間 2名
平成12年 大阪府立高校の創立記念にクラフト商品 (写真立)を企画、生産。
平成12年 大阪府より 募金箱の企画、生産を受注する。なお、デザインはその後も引き続き利用されている。
平成12年 社員旅行 バリ島 
平成12年 東京 ガーデニングフェア出展。
平成13年
神戸 木と暮らし展 3点の新商品を発表するが、モノではなく見えないシステムだったため、反響はなし。
大阪 DIYショー 出展。 
平成13年 USJ工事完了 結果的に屋外のエクステリア工事はそのほとんどをさせていただくロンバースデッキ
木壁画企画、施工する。宝塚市 県民センター
平成13年 キットデッキWeb インターネットのみの販売とする。
平成13年 11日 USJセミナー1回目を開催。 米国大使館の後援、主催は米国針葉樹協会
13日 USJセミナー2回目を開催。
平成13年 会社創業90周年祝賀会とUSJ見学会を実施する
平成13年 教員研修受け入れ、3日間の研修
平成13年 会社の自己資本比率36%を達成、10%以下からのスタートで長年の目標であった。
平成13年 外回営業と社員全員の情報共有システムがスタート。システム完全に動くまで1週間かかったが
 費用がかからずに、情報共有できるのはさすがITの威力だ。
平成13年 株式会社ウッドジェイピイを設立、woodのメールの発売と木材業界専門のホームページ作成などを業務とすることに。
平成13年 インターネットホームページが来場者累計30万人達成
平成13年 会社の一般仕入れを現金支払に、長年の目標が実現した。
平成14年 大阪ドームでの木と暮らしのイベントに出展
平成14年 大阪 木工機械展・木製実物大飛行機(拡大写真と説明)をボランティア展示
平成15年 関西IT百選に入選、優秀7社に選ばれる グランキュープ大阪にて受賞者講演
平成15年 供給システム優良事例の林野庁長官賞に選ばれる
平成16年 ホームページに木に関するデーターベースを導入
平成16年 ISO取得 9001/2001  審査機関 ロイドレジスター
平成16年 マレーシア 政府幹部の 各省庁部長クラス 20名の当社のIT利用状況視察
平成16年 社員旅行 カナダ バンクーバー 
平成17年
木の情報検索エンジンを立ち上げる 
平成18年
社長の中川 日本木材加工技術協会若手技術者発表会で 激励賞を受賞、最高年齢で 
平成18年 間伐材利用の「自然木フェンス」が平成18年度大阪府率先発注モデル事業に指定される
平成19年
社員旅行 オーストラリア ケアンズ 
平成19年 ISO返上し、自社品質管理をスタートする
平成20年
社長の中川 日本木材加工技術協会の市川賞を受賞  東京大学弥生講堂で受賞者講演

平成20年

インターネットホームページが来場者累計200万人達成
平成20年 世界の木材有用樹木7800種を公開  全ホームページのW3C準拠化スタート
平成21年 NHKためしてガッテンをヒントに、スローステップを開発、ヒット商品となる
平成22年 社員旅行 イタリア ローマ ナポリ
平成22年 社長の中川が全日本SEO協会のSEO認定コンサルタントの資格を取得
平成23年 キットデッキシリーズの「ウッドデッキラクーナ」を発売する
平成23年 財団法人太平洋人材交流センター招聘のウズペキスタンの方々の見学来社
平成23年 社長の中川が全市蓮の木材アドバイサー資格を取得
  関西地区でのカーポート(ガレージ利用)の専門会社となりました